生きることは死にゆくこと:FF14暁月のフィナーレ(~パッチ6.0)感想①

暁月クリアが9/21でしたので、現在、およそ10日後です。
とても面白かったのだけど、その分、印象的なシーンが多くて、感想をまとめるのに時間がかかった。

「FINAL FANTASY XIV」
追加パッチ「暁月のフィナーレ」(Win)

感想記事ひとつめ。
記事中のスクショや引用した台詞は © Square Enix です。

ちなみに漆黒の感想はこちらですので、よろしければどうぞ。

オールド・シャーレアンへの船出

船出の時に流れるボイス、エメトセルクじゃん……!!!!
びっくりして一瞬反応が遅れました。

「せいぜい惜しんで進むがいい」っていうのが、エメトセルクらしく皮肉げでいいよねぇ。

『生きることは 死にゆくこと』
『出会えば別れ 始まれば終わる』

そしてこの言葉。
最後までプレイしてみてから改めて見ると、これこそが、暁月の根底を流れていたテーマであり、人類への課題だったんだなあと思います。

おおお、ハイデリンが来たぞ…!

5.5最後の時も思ってたんだけど、この方がつまり「ヴェーネス」って人ですね。
身を捧げてハイデリンを喚んだっていう。

ちなみに、「ハイデリン討滅戦がある」ということを自分は事前に知ってしまっておりました。コンサポだってことも実は先に知ってた。

だからなんらかの理由でハイデリン敵に回るのかなあとうっすら思っていたのだけど。
この人がけっこう優しげで、ここで「あれ?」と思っていた記憶があります。
旅を楽しんで的なことも言ってくれたし。確か。

※ていうかヴェーネスってFF12にも同名のキャラいたよね。それでフィルターかけちゃってたのもあるかも。

サベネア島での語らい

明日を繋がんとする人と、終わりを求める人と

新型エーテライトでめちゃくちゃ酔いつつ、サベネア島に到着です。

エスティニアン、なんでそんな騙されるのよ……。
ていうかそんなに世間知らずだったの?大丈夫ですか?
うーん、竜騎士ってイシュガルドでは羨望の的だっただろうから、本人が斜めに構えていても、そんな金銭むしり取られるようなことはなかったってことなのかな。

さて、サベネアでは、ウリエンジェがテロフォロイについて、我々と同じく「人」であると評していましたね。

「生を望み、明日を繋がんとする人と、死を謳い、終わりを求める人が、せめぎ合っている……」
「まるで、この戦いを以て問うているかのようです。人という種は、生きていけるのか……と」

ここね「ああ…そうか…」と目を開かされた気がしました。
うん、そうなんですよね。
どちらも人の側面ではあるんですよね……。

生に希望を持つのも、死に救いを求めるのも、同じく人の側面ではある。

他者に強要される終焉を受け入れられない、抗っていく、というのがヒカセン達の立場にはなります。
終わりたくないという思いを持つからこそ、外的要因によってもたらされる終わりは、余計に受け入れがたい。

でも、だからといって、終わりを求める人を完全に否定できるかっていうと…必ずしもそうではないんだよな。
苦しみを終わらせたいという気持ちは、苦しい時ほど持つものなので……。

「復讐なんてものも、結局はそれと同じことだ。相手が絞られてるってだけで、苦しみの沼の底で、他人にも破滅を願うわけだからな」

自分の苦しみを他者も味わえ、と思ってしまう気持ちや、自分が苦しいのに他者は楽しそう、と恨みがましくなってしまう気持ちも、まあねぇ、分かり…ますし……。
そういう側面って、多かれ少なかれ、自分の中にもあるよね、と思う。

そして、復讐に生きた過去について、ちゃんと言葉にできるようになったエスティニアンにも、精神の成長を感じました。

「アモン」としての生

その後、ゾットの塔でファダニエルと対話をする羽目になるわけですが。

「けど、そんなの知ったことじゃない! 私は私として生まれて、時を過ごしていました」

この台詞には転生組のアシエンの悲哀を感じました。
あの名乗りには、自分はファダニエルではなく、アモンであるという自己認識があった。

エデンのことも少し思い出しましたね。
ヒカセンとしてはガイアを優先するしかないんだよな、とか考えてしまった、あの時を。

話がずれるけど、これ、前世ものによくあるテーマではあるよな。
前世にとらわれて現世の自分・現世の人間関係をおろそかにするのか的な。

(以下早口)
まあ、近年よく見る転生ものは、どちらかというと異世界トリップものの系列で、元の世界に帰るか帰らないか問題を解決するために転生設定を使い始めたのもあるんじゃないかなって思ってる。だから、どちらかというと現世(異世界)に重心があって、前世(現代日本)のことなーんも覚えてないって設定の話も多いんじゃないかな。

閑話休題。

アラグを生きたアモンという人物は、絶望をしていたんだよな、と、ここでは思いました。
そうして、人という種を試そうとした。

この人の話は最後にまとめてやった方が良いと思うので、これ以上の所感は飛ばします。

ルヴェユールの人々

悩むアリゼー

ヴリトラ…!おおおおお……!的な驚きもあったりしつつ、ラザハンを一旦去りまして。

オールド・シャーレアンに戻った後は、悩むアリゼーの語りが印象深いです。

「あのとき、あの問いになんて答えられたら、自分もお父様も裏切らずにいられたんだろう……」

自分もお父様も裏切らずに、か。
アリゼーはいつだってフラットで、よくカッとはなるのだけど、後から反省できる。
そこが好きです。

でも彼女の悩みへの明快な答えは、自分もまだ持っていなくて、何も言ってあげられないのが歯がゆかったな。

希望の花

さて、哲学者会議の思惑を探るべく、一行はラビリントスへ。

ん?んん??
こ、この人見たことあるぞ……!黄金のムービーにいる人じゃないか!
えええ、ここで出てくるんですか!?暁月後パッチじゃなくて!?

そして、意味深な花も。

「暗闇のうちに、歓びを探すのです。絶望に目を凝らし、哀しみを掻き分け、前へと歩み続けた者だけが、その真なる輝きを得る……」

この時は、この言葉の意味がよく分からなかったよ。
これからの展開がきついんかな、きっときついんだろうな、とか思ってたよ。
ふふふふ。

ルヴェユール邸にて

フルシュノパパとは依然として分かり合えず…でしたが。

アメリアンスお母様は良かったですね!良いキャラ!
意外と天真爛漫系だった。良い意味で予想を裏切られた。
フルシュノパパがたいそう思慮深いので、良いカップルなのでしょう。

そうそう、最初にオールド・シャーレアン着いた時、街中探検がてらルヴェユール邸行ったんです。
で、使用人達にすげない対応されてね。
当然なんだけど、むむむむ、と思ってた。

パパとも和解できず、ぎすぎすしてるままなんだけど。
ここで、それでも皆ちゃんと双子のこと心配してるんだよって見せてもらえて安心したな。

ヴリトラの予言

ヴリトラに呼ばれ、再びのラザハン。

「君は私が知りうるかぎりでも、運命と力を、引き寄せすぎている。良きものも、悪しきものもだ」
「それらは君を安寧の内に留まらせてはくれない。困難な試練となって、次々と襲い来るだろう」
「しかしもっとも恐ろしいのは、君を中心に渦巻く熱が、君のそばにいる者を、燃やし尽くしてしまうことなのだ」
「……進むのなら、護り抜け。それこそがいつか必ず、君自身の力となり、希望になる」

燃やし尽くす……か。
ううーん、不穏だなあ……。

この「護り抜け」のところ、ヒカセンの背後に、双子が映るんですよね……。
やっぱりこの2人は、ヒカセンにとっての守るべき存在、その象徴、だよね。

厳寒のガレマルド

イルサバード派遣団

ゼノスとファダニエルの会話ムービーの後で、ヒカセン達にもガレマルド帝国壊滅の報が届きました。

敵国だったとはいえ、状況が状況。
帝国の人々を助けるべく、有志で派遣団が結成されるとのこと。

ア・ルン!!!
エマネランー!?!?

えー、みんないる!みんないるー!
クラスクエやジョブクエの人達が出てくるの熱いな!

詩人ジョブクエとかやってないし、もしかすると分からない人もいたのかもしれないなあ。
もしいたなら、残念ですね。
(あと余談だけど、エスティニアンが全然会いに来ないからアルベリクさんの方が来ちゃったんじゃん、ってだいぶ笑ってました)

やっぱり帝国は敵国だったし、恨みもあるので、みんながみんな、諸手を上げて賛成しているわけではない。
助けになんていけないよ、助けたくなんかないよ、って人も、たくさんいる。

でも、リセがさ。
「お互いの未来を考えるには、まず、生きててもらわなきゃいけない」って言うじゃないですか。
あれが、とても理想的な発言ではあるけれど、そうありたいよね、そう思えるあなた達がすごいよ、って思いました。

誇り高きガレアン

ガレマルドでは、タタルにもらったあったかそうな旅装を染色してミラプリして進めました。
タタルにもらった服、あんまり似合わなくて着れなかったりしてたから、嬉しかったな。

そして、ルキアに旅慣れた者と扱われてすごく喜んでいるアルフィノが可愛い。
可愛かったのだが、うん。

見つけて追いかけて、助けたと思った帝都の人々が、実はこちらにたいそうな忌避感をもっていて。
誇りを守るために、他の大人達がかばって、少女達が逃げだして。
そして彼女達は、魔獣の餌食となった……。

いやー…うん……。
派遣団に参加してる大人達はある程度、善意が報われないかもしれない・必ずしも報われないだろうってことも覚悟して来ていると思うのだけどね。
ていうか私自身、この手の展開は来るだろうなって思いながらプレイしてはいたしね。

でも、アルフィノとアリゼーにこの一連の流れを体験させるの、きっついな……。

その後のクイントゥスさんとの会話もなあ。

「敵意などなくとも、利害が生じる限り、人は殺し合えよう」
「だが、前線の兵がどれだけ義勇に駆られようが、国家は善意などでは動かない。そこに益なくば、国を為す民を護れぬからだ」

国家は善意では動かない。
そう。
そう、ですよね……。

「そうだとも、不和は争いを生み、調和の先に自由はない。誰もを幸福にできる道などないのだ」

全体的にクイントゥスさんの発言って、反論はできないんだよな。
これは、フルシュノパパにも思ったことだけど。

大人は大人として、いろいろ見てきて、考えてきて、だからこそこうだ、と言ってくる。
それは、別に間違ってない。
理想で現実は回らないって知ることは、大人になることへの一歩だと思う。

帝国の人々にとっては、エオルゼアの人々は魔法なんか使う得体のしれない相手で。
征服して同じ「帝国民」にしないと、同じ人間として認められない。
(属州民が生粋の帝国人にとって同じ人間なのか?というのは怪しい事例も多いけど、それはさておき)

しかしその「調和」は、世界統合は、ガレアン以外の人々には受け入れ難い。

「でね……お父様に感じた怒りも、そういう拒絶に対する憤りだったんじゃないかって」
「争いを避けるのが正しいことだとしても、その方法が、周りとの繋がりを断つことだなんて、全然納得できないわ」
「だって私たち、ヴァリス帝もお父様も見限った人たちから、こんなに学んで、励まされてきたのよ?」
「そりゃ、考えがバラバラでぶつかることもあったけど……それもひっくるめて、かけがえのないものだった」

アリゼー……!!!

そうだね、フルシュノパパも、一面ではクイントゥスさんやヴァリス帝に似ている。
武器を取って争うような各国は顧みず、使命のために邁進する。
結局、武器を取るような奴らとは分かり合えない、というのが根底にある。

フルシュノパパに色々言われたことを、悩んで考えて、それでも出会いはかけがえのないものだった、と言葉にできるアリゼーがあまりにも愛おしい。

「この世には問題があふれているから、効率よくそれらをさばけるように、段々と、物事の形を整理してしまうんじゃないかな」
「風は風、雪は雪、光は光……本当は時々で違った顔を持っていることを、きっと、気にしなくなっていくんだろう」
「人も「人とはこういうものだ」と整理される。だから、割り切ったり諦めたりしやすいのかもしれない」

アルフィノのこの台詞には、はっとしました。
分かり合うことを諦めてしまう。そういうところは、自分にもある。
…ていうか、現実にはそんなことばっかりしてる。
だって、分かり合うって、面倒なんだもの……。

でも、諦めたくない、と。
かけがえのないものを、大切にして生きる。
そのために、戦いたいんだと。

そうやって、双子はフルシュノパパへの答えを出しました。
なんて…なんてまぶしいんでしょうね……。

打ちのめされ、凍えた人々

結局、クイントゥスさんやユルスのやりたかったことは、始まる前に終わってしまった。
守りたかったガレマール帝国は戻ってこない。

それもまた現実であり……。
ああそうか、もしかしてこの展開は、古代人に起こったことの、繰り返しでもあるのかな……。
戻らない……もうあの日々には帰ることができない……。

クイントゥスさんが終わりを選んだのには、この人はそうするよなという納得感と、諦めて去って行かないでよという寂しさがありました。

ところで、FF14って、大量のサブクエストがありますよね。
私これまで、サブクエはほぼ無視してきたんです。
マップごとにたくさんあるので、全部やってたらストーリー進められないよ~と思って。

でも、ここではやらなきゃと思った。
やりたいと思った。
この打ちのめされた凍えた人々のために、少しでもできることをしたかった。

この時、私はこのために、こういう人達のために、冒険者をやっているんだよな、と思いました。

(余談)
……あのね、不思議なんだけど、あの時の主語は、物語の中の「ヒカセン」じゃなくて、画面の前の「私」だったんですよね。
この人達のために何かがしたい、と思ったのは、ヒカセンというより、私自身だった。

こういう言い方はなんか突き放した感じがするかもしれないのですが…。
ヒカセンは、私にとっては、ゲームの中の1キャラクターに過ぎません。
エオルゼアを生きる一種の分身・アバターではあるけど、当然、私自身ではない。

まあ14はMMOなので人と遊んでる時はほぼ「私」だし、シナリオで出てくる選択肢どれにするか決めたり、どのコンテンツやるか選ぶのも「私」なんだけど。
でも、メインシナリオ追ってる時は、「ヒカセン」という主人公がどうするか、何を言うか、という目線で見ている、つもり。

だからこそ、冒険してたのは「私」じゃなくて「ヒカセン」だったはずなのに、不思議だな。……そう思いました。
(類似のことをFF16でも思いましたね。あれはどちらかというと逆パターンだったけど)

現実の私は、ずるかったり、面倒で目をそらしたり、他を優先したり、行動をしないことが多いのにね。
物語の主人公である時なら「私」もできるしやりたいと思うのか、っていうのは、突き詰めて考えると、結構だいぶ相当に業が深いですけどね!
(余談おわり)

ただ、個人的には、もうちょっとヒカセンのことけなしてくれても良かったよ!帝都のモブ達!

手前の少女達のことがあったから、もっと反感強いつもりでサブクエやってたんだけど、モブ達がほぼほぼこちらに優しかったのは少し違和感があった。
ヒカセンは大人なので、別に良いんですよ…多少いろいろ言われても……分かってもらえなくても善意の押し付けをしに来たんだよ……みたいな。

まあ何だ、それでも、死にかけてるところで手を握ってあげた人が「あの時手を握ってくれたあなたのことを信じます」的なことを言ってくれたのとかはやっぱり嬉しかったんだけどね。

それにしても、エマネランって誰とでも仲良くなるよなあ。
これもまた人徳だよなあ。

寒夜のこと

で、「寒夜のこと」です。
けっこう身構えていたのですが、自分的にはさほど気にならなかった。
まあ、気持ち悪いって感想を持つ人も多いのは、分からなくもない展開ではあった。

ゼノス in ヒカセンを見て、最初は、あーこのままゼノスと戦うのかな、自分自身と戦う展開は熱いかも、とか呑気に思ってたんですよね。
しかし彼がキャンプに向かった瞬間、あ、やばいやばいやばい、と焦ったのを覚えてます。

「キャンプ壊滅してたくさん人が死ぬんじゃないか」
「その結果、生き残った人達からめちゃくちゃ糾弾される精神的にきっつい展開になるんじゃないか」
そういった想像が脳裏を駆け巡って。
でも、実際にはそこまでのことは起きず、キャンプ襲撃未遂で済んだので、安堵の方が強かったのかも。

まあ、ゼノスのやりくちは悪手だよ。
ヒカセンが自分のこと見てくれないからってヒカセンが大事にしてる虫(ゼノスにとっては虫だよな…)ぷちぷち潰そうとするんじゃないよ。本当にさ。
こいつの生き方というか、これまでの人生を考えると、仕方ないとは思うんだけど、情緒発達してないのよな、こいつ。
そのへんは後々アリゼーが言ってくれるので、ここでは置いておきましょう。

あと、ファダニエル(アモン)は動作も表情もまじで面白い。
完成された面白さすぎて、どうも評価が甘くなってるかもしれません。

ちなみに、インスタンスバトルはノーマル2回目で突破できはしましたけど(※たぶんいつもフィールドで、敵の隙間を縫って背後を通って絡まれないように走っているおかげ!)
「もう1つの青燐水やっと見つけた!回収したよ!」と思って魔導リーパーに戻ったら、実際には全然回収できてなくて、うあああああああ!ってなってました。
また長い道のりを戻ったら普通に青燐水落ちてるし!もうもうもうもう!

それでも10分くらい残してクリアしたのは、私的には頑張ったのでは!?

月の砂漠

懐かしいヒト

わー…なんだここは……。
殺風景な月の砂漠に、青と紫の光、そして真っ赤なゾディアークというコントラストが印象的でした。
うつくしくないわけじゃないけど、それよりも、うら寂しさが勝つ光景といいましょうか。

月で、ヒュトロダエウスと会えたのは嬉しかったですね。
あなた、いいところに出てくるなあ!

これはアーモロートの幻影とは違って、かつてゾディアーク召喚のために身を捧げた、ヒュトロダエウスそのものの影ってことなのかな?などと考えつつ。

ヒュトロダエウス、月で最初に出会った時も、討滅戦の時も、テロップの名前のところに「懐かしい雰囲気の」って入ってるのがなんかいいよね。
ヒカセンにも、どこか懐かしいと感じられるんだなあ……。
ヒュトロダエウスはヒカセンに対して「懐かしく、新しいキミ」と言ってくれるけど、ヒカセンにとっても「知らないはずなのに懐かしいヒト」なんだなあ。

ゾディアークを討つ

月の管理者と話して、ゾディアークの封印が解かれないように奔走したヒカセン。
……のだけど、まあこういうのってうまくいかないんだよねぇ。

せっかく月まで追いかけてきたけれど、ゾディアークの封印は解かれてしまった。
討滅戦に勝利しても、その勝利に意味はなくて、結局は終末がもたらされてしまう。

ここはちょっと徒労感があった。

ストーリー的な都合とプレイヤーの操作が噛み合わない展開って、ゲームだと時折見かける気がします。
頑張ってバトルでボス倒したのに、バトル終了後のムービーでボスは元気にぴんぴんしてて、主人公サイドが負けた雰囲気、みたいな。

そういうのってどうにも徒労感はある。
徒労感はあるけど、そういうシナリオなので、何とも仕方ないよね、とも思ってる。難しい。

…なおゾディアーク討滅戦、初見(学者)は2~3回しにました!くそー!
悔しすぎてその後、忍者→学者でリベンジのシャキ待ちしてたのも良い思い出。
(2回目以降は死ななかった…!)

レポリットとウリエンジェと

ゾディアークが消滅し、終末の到来が確定した。
そんな、徒労感と不安を抱えていたところで……。

レポリット達の起床です!
うさぎ達が順番に出てくるのめちゃくちゃ可愛かったし可笑しかったです!

レポリット達との一連の流れなんですが。
悩むウリエンジェを通して、私は、ミンフィリアを想起していました。

ウリエンジェは、一人を犠牲にして多数を生かすことが「できる」人です。
選ばなければならないなら、そちらを選ぶことができる。
……でも、本当は選びたくなんてなくて、犠牲になった人のことをいつまでも後悔してしまう。
リーダーには向いてないよね、この人は……。

で、思い返すと。
ミンフィリアってさ、やっぱり暁の盟主だったんだよね。

ミンフィリアも、ウリエンジェと同じく、一人を犠牲にして多数を生かすことが「できる」人だった。
ヒカセンに対しても、危険を承知で行ってくれと言える人で、そして、そういう自分に自覚的な人だった。

ミンフィリアも、ウリエンジェのように、きっと悩んで後悔はしてたと思うんですけど。
でも何だろう、自分が犠牲に「した」と自覚して、それを割り切って、前に進んでいける人でもあったように感じています。

…だからこそ、自分が行きます、って第一世界に行っちゃったんだけどね……。

一方で、ウリエンジェはいつか限界がきて、前に進めなくなってしまう人。

ずっとムーンブリダのことを振り返って。
ミンフィリアのことを振り返って。
水晶公の共犯者となったことを悔やんでいて。

「できるからやる」のではつらいよね。
ウリエンジェ自身が何が「したい」のかを考えて、レポリットと対話する・お互いのことを伝え合う、という方向に進めたのは、良かったなあ。

「終末」の到来

焼けた道を往く

このあたりの展開は、もうどこを切り取ってもつらいんですが。
パーラカの里のところがね、本当につらかったです。

悲劇もつらいんだけど、一番つらかったのはそこじゃないです。
自分にとっては、皆で祈りを唱えているところが、本当につらかったです。

「……産まれし者よ聞け。生とはただ美しきものにあらず」
「生ける者は苦痛を知り、災難を知り、絶望を知る。あらゆる辛苦は降りかかり続ける」
「焼けた道を行けど褒賞はなく、道の傍らにはいつも、死が口を開いている」
「それらはお前を恐れさせ、嘆かせ、苛み、悩ませるだろう……」


「だが、目を閉じてはならぬ。かくのごとき生を見据えよ」

「お前を打ちのめしている辛苦は、しかし、お前を弱くはしていない」
「ひとつひとつが、焼けた鉄に振り下ろされる、鎚に似て……」
「お前を、強き……強き剣と、成すだろう……」

つらい……。
この祈りが、本当に本当につらい……。

だってね、この人達は今、とてもつらいんですよ。
こんなにつらくて、こんなにしんどいんですよ。

日常が壊れて、たくさんの人が死んで。
どうすることもできなくて。
いつ、隣にいる人が獣に変じるかも知れない。いつ、自分の番が来るかも知れない。
今助かっているのは偶然に過ぎない。

――焼けた道の傍らで、死が口を開いている。

これって、祈りなんですか……?
こんなものが祈りなんですか……?

強き剣になったからといって、どうだっていうの?
だってみんな、みんな死んだのに……。

でも、そうなんだよね。
そうだね、と思うからこそ、とてもつらかった……。

生きるということは。
つらいこと、絶望、別れ、死ぬことと、いつだって隣り合わせ。

それでも生きていく。
それでも、生きたいと思ってしまうし、生きていて欲しいと願ってしまう。

だめだ、泣く……。
あまりにもつらすぎる……。
(なんならこの記事書きながら、祈りの文句を打ち込みながら、また泣いてますし!)

このパーラカの里以降、涙腺が壊れて、本当にずーーーっと泣いていました。

漆黒5.0まで一切泣かなかったのにね!!
皆さん泣いたって言ってるのに、私の情緒はこわれてるんだな、とちょっと思っていたのにねぇ。
(これまで唯一泣いたのも、5.3最後のアゼムクリスタルの召喚シーンという、どちらかというと熱い展開に感極まって泣く系でしたし…)

たぶんメインキャラ達よりも、モブキャラに感情移入しがちなんだと思います。
思い返すと紅蓮とかでも、強大な相手に立ち向かえない・立ち上がることのできないモブ達に感情移入してたしな。

シナリオに関わって来る、名前やビジュアルのあるキャラ達のことは、自分とは違う、強い人達だと思っている部分がある。
アーモロートはしんどくはあったけど、エメトセルクの記憶として見ていたし、完全だった古代人の滅びの日かあ、ってどこか他人事だった。

でもラザハンの人達や、パーラカの里の人達は、弱い普通の人間達じゃないですか。
彼らが打ちのめされるのが、本当に、自分のことのようにつらかった。

こんなにつらいなら、強き剣になんてなりたくないよ……。
でもその一方で、それでも生きたいと思ってしまう……。

メインクエストで、チャイを配るのを手伝わせてもらえたの、良かったな。
何かさせてもらえて、ありがたかった。

「……チャイの香りや甘さはね、この島の「日常」なんだ。今のみんなに必要なのは、それなんじゃないかと思ったの」

「変わらざるを得ない生活。誰かのいない日々、失われて戻らない多くのもの……そういうのが、これから長く苦しみをもたらすと思う」
「だけど、人は、苦難に慣れることができる……」
「諦めるって意味じゃないよ。それは、決して完璧じゃないアタシたちが、幾度も傷つきながら培ってきた、ひとつの強さなんだ」

強いなあ……。
でもそうやって強くなるの、しんどいよなあ……。

このパーラカの里でも、またサブクエをやっていました。
だってそのために、私は冒険者をしているから……。

「多彩なる都」

ところで、少し戻るけど、ラザハンでのグラハもすごく良かったな。

「皆、前を向いて胸を張れ!」
「恐れることはない、この獣は、私たちで打ち倒せる!」

この台詞、ああ、水晶公だ……と思いました。
そうやって、あの第一世界を、人々を励まして生きてきたんだなと思いました。
彼も、本当に長い長い絶望を越えて歩いてきたんだよなあ……。

それでいて、後で、とっさに指揮を執ったけど本来は自分がやるべきじゃない、みたいな反応してるのも良かった。
公はやっぱりクリスタリウムの公なんだなっていうのが嬉しかったのと、サベネアの民はヴリトラの民だって、そういう風に言ってくれるのが良かったですね。

そして、エスティニアンもアルフィノも言っていたけど、ヴリトラとサベネアの人々は、竜と人のもうひとつの関係性、もうひとつの到達点なんですよね。

「あの市の賑わいや、行きかうヒトの活気。街の彩りは、ここに生きた者たちが、時と世代を超えて塗り重ねてきたものだ」
「ひとり暗い洞窟で眠ってきた私にとって、それはとても奇妙で、強烈で……鮮やかな歓びだった」
「この災厄ですでに多くのものを失くしたが、君たちが生きているかぎり、多彩なる都、ラザハンは続くのだ」

……泣く。
ヴリトラが言う「多彩なる都」っていう表現があまりにも好きです。
竜の目に、色鮮やかに映り続ける、人の営み……。

蒼天で竜と人の争いを散々見てきた。
相容れないがゆえの犠牲もたくさんあった。
それでもなんとか最後には、共に手を取り合って未来へ、という形にはなって。

これを見て、本当に感慨深い。
竜と人が、遥か昔から共に生きてきた場所。
イゼルにも見せたかったよね……。

……でも、ニーズヘッグや、悲嘆していた竜達・融和を認められなかった人間達のことは、切り捨ててきてもいるのが事実。
エスティニアンはニーズヘッグの槍を使い続けているけれど、あれも、切り捨てたものを少しでも拾い集めて、抱えていかなければと思っているのかな。
例えそれが、自己満足にすぎなくても。

ロールクエスト

ここでロールクエ出たのはびっくりしましたね!
しかも85レベからしか受注できない!

学者が90になってたので、ヒラとキャスのは最後までできました。
忍者が88、ガンブレが87だったのでメレーとタンクは途中まで。
……レンジは受注すらできないよ!(踊り子83)

ヒラのも良かったけど、キャスの、イシュガルド正教と最後の蒼天騎士の話、このタイミングで見られて良かったなあ。

ただ、ロールクエ全般に言えることなんですけど、獣に変じる人々を止められないのがすごく暗い気持ちになります。
こればっかりは、シナリオの都合というか、バトル演出の都合……。

タンクのロールクエで、グリダニアから逃げようとした人が絶望して獣に変ずるの「もうやめて!!」ってなってました。
た、助けさせてくれよ……頼むから……。

……英雄って、無力だな。

長くなったので、一旦ここまでで区切ります。
シナリオ後半戦の感想はこちらから。

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